日本海軍 戦艦 三笠 日本海海戦 (プラモデル)
●全長379mm、パーツ数420点、船体はフルハル状態で展示用ベースが付属します。

●戦艦`三笠`は、明治35年(1902年)3月1日英国ヴィッカース・ソンズ・アンド・マキシム社で竣工。
●武装は、30.5センチ主砲4門、15.2センチ副砲14門、7.6センチ補助砲16門、4.7センチ速射砲4門、水中に45.7センチ魚雷発射管を4基持ち、最大速度18ノット、艦体にクルップ鋼による装甲を施し竣工当時、世界最強の戦艦でした。
●明治36年12月、連合艦隊旗艦となり東郷平八郎司令長官のもと日露戦争を戦いました。

●明治38年5月27日未明、ロシアの第二太平洋艦隊(バルチック艦隊は日本側のつけた通称)が対馬海峡に現れ、東郷司令長官は、「敵艦隊見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動之を撃滅せんとす。
●本日天気晴朗なれども波高し」と大本営に打電、連合艦隊を率いて鎮海湾を出撃しました。

●やがて敵艦隊を発見、旗艦三笠のマストに戦闘旗を、そして1時55分「皇国の興廃此の一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」のZ旗信号を掲げ艦隊の士気を鼓舞。
●両軍が、8000メートルの距離に近づいたとき、東郷長官は取り舵一杯を命令します。
●これが有名な東郷ターンです。

●敵艦隊は、ここぞとばかりに砲撃を始めたが、戦闘隊形ができあがっていなかったため味方が邪魔になり、思うように砲撃ができず、また訓練不足と荒波でほとんど命中しませんでした。

●敵艦隊の砲撃が始まった2分後、2時10分距離6000メートルになったとき東郷長官は、初めて「撃ち方始め」を命令します。
●ロシアは、大口径砲を持った戦艦を新型4隻、旧型4隻合計8隻有していました。
●対する連合艦隊は、戦艦は4隻であったが、巧みな戦術と練度の高い砲撃により敵艦を次々と撃沈あるいは戦闘力を滅し、拿捕、あるいは降伏させ数次に亘る攻撃の末、明けて5月28日ついに残存部隊も発見され、ロシア艦隊は白旗を掲げて降伏しました。

●戦果は、36隻の敵主力艦のうち、沈没21隻、降伏拿捕7隻、中立国に逃げ武装解除7隻、わずか3隻の小艦艇がウラジオストックに到達したのみでした。
●連合艦隊の損害は水雷艇3隻のみであった。
●世界の海戦史の中でも大変稀な完全勝利であり、これを契機に日露講和会議が実施されることになったのです。