――国鉄初の新性能通勤型! 101系 赤羽線
●1957(昭和32)年、国鉄初のカルダン駆動を採用した「新性能電車」として登場したのがモハ90系です。2両ユニット電動車方式、発電ブレーキ、両開き式扉などの新機軸が採用され、後の通勤型電車の標準形態の始祖となりました。翌年から量産が開始され、中央線、大阪環状線、山手線などに続々と投入され、73系以前の旧型国電に代わって通勤通学輸送の主役として活躍を開始しました。1959(昭和34)年には称号改正によって101系と呼ばれるようになり、1969(昭和44)年までに1535両が製造されました。
●1963(昭和38)年からはより経済性を考慮した103系が登場し、量産の主軸が移行した後も101系は首都圏・関西圏の輸送の中軸として活躍を続け、昭和50年代後半より順次老朽化にともなって引退が始まりました。現在ではJR線上に在籍している101系はなく、秩父鉄道に譲渡されたグループが1000形として活躍しています。
●赤羽線では山手線で活躍していたカナリアイエローの101系によって1965(昭和40)年から新性能化が始まりました。山手線が103系化された後も暫くは101系が運用されており、最終的には1978(昭和53)年までその姿が見られました。
●ヘッドライト、テールライト、前面行先表示窓点灯。LED使用。ON-OFFスイッチ付
●フライホイール付動力ユニット搭載
●前面、行先窓に文字を印刷済(赤羽線)
●パンタグラフ取付方法を変更
●車内に多数のつり革を再現
●オプション:幅広室内灯:G0001/G0002/G0003/G0004、マイクロカプラー密連・黒:F0001
●付属品:行先ステッカー、サービスステッカー(団結・ストライキ他)
●1957(昭和32)年、国鉄初のカルダン駆動を採用した「新性能電車」として登場したのがモハ90系です。2両ユニット電動車方式、発電ブレーキ、両開き式扉などの新機軸が採用され、後の通勤型電車の標準形態の始祖となりました。翌年から量産が開始され、中央線、大阪環状線、山手線などに続々と投入され、73系以前の旧型国電に代わって通勤通学輸送の主役として活躍を開始しました。1959(昭和34)年には称号改正によって101系と呼ばれるようになり、1969(昭和44)年までに1535両が製造されました。
●1963(昭和38)年からはより経済性を考慮した103系が登場し、量産の主軸が移行した後も101系は首都圏・関西圏の輸送の中軸として活躍を続け、昭和50年代後半より順次老朽化にともなって引退が始まりました。現在ではJR線上に在籍している101系はなく、秩父鉄道に譲渡されたグループが1000形として活躍しています。
●赤羽線では山手線で活躍していたカナリアイエローの101系によって1965(昭和40)年から新性能化が始まりました。山手線が103系化された後も暫くは101系が運用されており、最終的には1978(昭和53)年までその姿が見られました。
●ヘッドライト、テールライト、前面行先表示窓点灯。LED使用。ON-OFFスイッチ付
●フライホイール付動力ユニット搭載
●前面、行先窓に文字を印刷済(赤羽線)
●パンタグラフ取付方法を変更
●車内に多数のつり革を再現
●オプション:幅広室内灯:G0001/G0002/G0003/G0004、マイクロカプラー密連・黒:F0001
●付属品:行先ステッカー、サービスステッカー(団結・ストライキ他)