VW VLK #7 1947 シルバー (ミニカー)
──VW VLK (#7) (ドイツ、1947) フォルクスワーゲンになることを許されなかったモデル

●第二次世界大戦後、レースシーンは急速に活気を取り戻した。ブラウンシュヴァイク出身のレーシングドライバー、クルト・クーンケはレーシングカーを夢見ていた。
●彼は、ある計画の賛同者としてフォルクスワーゲンのエンジニアであるヴァルター・ハンペルを発見した。その計画とは、ヴォルフスブルクに本社を置くフォルクスワーゲンの技術と空気力学的に設計された車体でレーシングカーを作るというものだった。
●クーンケとハンペルは、フォルクスワーゲンのデザインチーフであるヨーゼフ・カレスにこのアイデアを提示し、フォルクスワーゲン工場から資材や専門的な援助を受けられることを期待した。
●ヨーゼフ・カレスもこのプロジェクトを気に入り、支援を約束した。そのためにグスタフ・フォーゲルサングはエンジンの改良に専念し、ボクサー・エンジンから数馬力の追加を生み出すことができた。

●コーチビルダーであるハインリッヒ・シュヴェン&ゾーンのワークショップでレーシングカーがセットアップされ、ベースとなるフィリグリー・チューブのスペースフレームにアルミニウム製のボディが取り付けられた。
●風洞実験では0.21という優れた抗力係数を達成したという。シャシーコンポーネントはすべてフォルクスワーゲン・ビートルから流用され、ホイールベースだけが20センチ短縮された。1947年2月にレーシングカーが完成するまで、組み立てにはわずか3カ月しかかからなかった。
●1947年8月24日、ブラウンシュヴァイクの高速道路レース `Braunschweiger Autobahnrennen `のスタートラインに初めてマシンが立った。
●クルト・クーンケがステアリングを握ったレーシングカーには、`VLK `という略号が付けられていた。
●この3文字は「Vollstrom-Leichtbau-Konstruktion」(フルフロー・ライトウェイト・コンストラクション)を意味していた。