独海軍・高速補給船 ウッカーマルク 1942・旧アルトマルク (プラモデル)
●横浜港ドイツ軍艦爆発事件で日本とも深い関係がある高速補給船

●アルトマルクは、ハンブルクのブローム・ウント・フォス社で建造された。
●1939年9月の第二次世界大戦開戦時、アルトマルクは大西洋で通商破壊戦を準備するアドミラル・グラーフ・シュペーを支援する任務に就いた。
●アルトマルクは、1940年8月6日にウッカーマルク と改名された。
●1941年1月下旬以降、リュッチェンス提督が率いるグナイゼナウ、シャルンホルストが大西洋に進出して通商破壊作戦を実施した。
●3月11日、シャルンホルスト級戦艦2隻は補給船2隻(ウッカーマルク、エルムランド)に合流した。
●1942年9月9日、ウッカーマルクは日本に向けてフランスを離れた。
●途中、仮装巡洋艦ミヒェルへの補給を行い、インドネシアで日本向けの石油を積み込む。
●同年11月24日午前8時、本州の横浜に到着した。
●搭載してきた燃料を日本陸軍に引き渡す。
●同月28日夜、横浜港の新港埠頭第8号岸壁に接岸した。
●大桟橋に係留され油槽清掃中の11月30日13時40分頃に爆発を起こした。
●この事故により、ドイツ海軍の将兵ら61人、中国人労働者36人、日本人労働者や住人など5人の合計102名が犠牲になり、周辺の住民や労働者、ドイツ海軍艦船を見学に来ていたドイツ大使館員のエルヴィン・ヴィッケルトをはじめ多数の重軽傷者を出した。
●また、ウッカーマルクとその近辺に停泊していたドイツ海軍の仮装巡洋艦「トール」、およびトールに拿捕されたオーストラリア船籍の客船「ロイテン」、海軍徴用船「第三雲海丸」の合計4隻が失われ、横浜港内の設備が甚大な被害を受けた。

●キットはエッチング多数。船体は1ピースのレジンモデル。
●全長254ミリ。